ブラジルのバス
2013年 11月 22日
昨日はバイーアから来週ヘシーフェへ移動するので、長距離バスのチケットを買いに行くことにした。
地球の歩き方で調べたバス停の場所へ向かってみると、onibusの小さい看板があるのでそこで待つことに。
だけどそこの手前でどんどんバスが曲がっていく!
心配になり歩いている女の子に聞いてみると「あっちだよ〜」とバスが曲がった辺りを指差してくれた。
そこへ向かうとちゃんと椅子がある停留所があり一安心。
長距離バスの乗り場はiguatemiというショッピングセンターの向かいだそう。
今居るところこらは7キロほど離れているみたい。
ブラジルのバスは時刻表などありません。
乗り場も行き先などは書いてありません。
バスに書いてある行き先で確認するか、運転手さんに確認しかないみたい。
赤いマイクロバスが来たので、「イグアテミへ行きますか?」と聞くと行くみたい。
良かった〜。
お金を払いバスへ乗り込む。
運転手さんの後ろへ座り「イグアテミへ着いたら教えてください。」と伝える。
これで安心?かな?
もちろん次はどこですよ〜という案内も無い。
外の景色を見てレバーを倒す、それがおりますよの合図。
少し進むと都会らしくなってきた。
サンパウロで見た町並みと似ている。
15分ほとすると海が見えてきた!!
ああ〜きれいやな〜、泳ぎたい、、
イグアテミには30分ほどで到着。
ちゃんと運転手さんは着く前に教えてくれた。
イグアテミの中の銀行でお金をおろし、長距離バスターミナルへ。
これがちゃんと駅のような立派な建物になっている。
飛行機は日本の国内線と変わらないくらいの値段なので、多くのブラジル人は移動の手段はバスを使うみたい。
2階がバス会社のチケット売り場で、1階が乗り場と銀行マクドナルド等のお店が並んでいる。
事前に調べたバス会社を見つけて、「ヘシーフェ行きのチケットがください」と伝える。
何とかコミュニケーションをとり、無事チケットを購入。
乗り場も確認してほっとする。
しかしまだこれで終わったわけではない!
ヘシーフェ(オリンダへ行くんだけど直行バスはなくヘシーフェで乗り換え)に一週間滞在してまたサルバドールへ戻って一週間滞在、そしてオウロプレットへ。
これも直行バスは無くベロオリゾンチで乗り換える予定。
ベロオリゾンチへのチケットはまた違うバス会社が取り扱っているのでそこへ向かう。
思ったより高くてお金が足りなかったので、銀行へもう一度おろしにいく。
しかし機会のトラブルかおろせず、デビットカードで買うことにした。
もしトラブルがあったらデビットは金額の取り消しに時間がかかるので、極力使いたくなかったんだけれど、、
それでもチケットは無事に購入出来て、ターミナルのスーパーで水とコショウと玉ねぎを買い、帰りのバス乗り場へ向かう。
サルバドールのバスは2.5レアルと3レアルのバスがあり、2.5の方はエアコンが無く窓は開けっ放し、どのバスを見てもギュウギュウ詰めだ。
3レアルの方はエアコンあり、金額は前払い、乗っているのも中流以上の人のように見える。
行きもたまたま3レアルの方だったが、帰りもそれに乗ることにした。
バスは来ているんだけれど運転手さんが居ない。
エンジンは入ったまま。
その状態でバス乗り場で待つこと20分。
待っている人達ももちろん慣れっこのようで、おしゃべりに夢中。
やっと運転手さんが現れ乗ることが出来た。
チケットを買うとき緊張していたのか、ドッと疲れが出てボーっと窓の外を見ていた。
行きとは少し路線が違うようで、帰りは海沿いをずっと走って行った。
椰子の木の間に夕日が落ちていく。
帰宅ラッシュで渋滞していてセー広場に着くまで1時間ほどかかった。
もうとっぷりと日がくれている。
足早に宿へと帰る。
帰ってからトマトとツナのパスタとサラダを作りシャワーを浴びる。
Facebookを久しぶりに見てみる。
するとパンデイロ奏者の小澤敏也さんが3日前に亡くなられたのを知りびっくりした。
小澤さんは5年ほど前にショビシュバでライブを見た。
ブラジルだけどロックな演奏に興奮したのを覚えている。
打ち上げも行かせてもらい少しだけお話させてもらった。
今年の5月にkawoleさんから六甲で小澤さんを招いてのライブ企画に呼んでいただき、お会い出来るのをとても楽しみにしていた。
だけど体調不良のために小澤さんの出演はキャンセルになった。
ライブは何とかkawoleさん、藤井拓ちゃん達が構成を考え直してくださって行うことが出来た。
体調不良って大丈夫なのかな、、と思っていたけれど、こんなに早く亡くなられるなんて、、
それをブラジルで知ったのが何ともいえない。
心よりご冥福をお祈りいたします。
私が19歳の頃にボーカルを習った越智順子先生。
習っている当時、「Bossa novaやるんだったら絶対ブラジルいかなあかん。
百聞は一見にしかず、やで。」
と言ってくださった。
先生はその2年後に亡くなった。
ずっとその言葉が響いていた。
練習していてもライブしていても。
あれから7年やっと来れたんだ。
先生、本当にその通りだと実感しています。
今自分は生きていて、ブラジルにも来ることが出来た。
やれることって沢山あるはず。
by balancoyuumi
| 2013-11-22 22:41